2011年6月5日日曜日

しまなみ海道100キロ

 6月4日の土曜日の早朝スタートなので前日から福山に泊まった。仕事が終わってからすぐに直行したので疲れがあり、頭が少しぼ〜っとしていたが、カプセルホテルの浴室でゆっくりしたら少し疲れが和らいだ。大会前日は早く寝たかったが、そうもいかなかったので結局、0時に寝た。
 早朝、3時に起床し、着替えてチェックアウトした。睡眠時間は3時間だが、それほど眠たいわけでもなく、今まで徹夜で走る過酷なレースを重ねてきたので身体が慣れてきているのか、それともレース前の適度な緊張でアドレナリンが出ているためなのか、疲れをあまり感じてはいなかった。
 受付はすでに人がごったがやしていて、隅っこでゼッケンをつけたり準備した。さすがに今からわらじを履くのは恥ずかしいので足袋に脚半の格好でいた。
 今回の大会は3年ぶりに開催されるということでスタート地点の福山城は1000人近いランナーが集まってだんご状態だった。この大会のことは3年前に偶然知って出たいと思っていたので、コンディションは最悪(前回の萩往還のときの右足の捻挫が治りきっていなかったのでほとんどまともに走っていない。)だが、ずっと楽しみにしていた大会なのでどうしても出たかったので出ることにした。スタート地点から少し離れた岩陰でわらじを履いてスタート直前まで人ごみを避けていた。変に注目されたくなかったから、というより前回、自信満々でスタートラインに立って、他のランナーから声を掛けられて、かなりえらそうに答えていたのに結果として、ただの口だけの男になってしまっていたのでそのあたりの自信のなさの表れなのかもしれない。かなりかっこ悪かった。
 スタートの合図とともにゆっくりと歩き出した。人が多いのでかなりゆっくりしたペースだった。信号もたくさんあったので赤信号のたびに止まっていた。大会の主催者の海宝(カイホウ)さんが言うように今回の大会はレースではなく、遠足(トオアシ)なのだということを感じた。記録よりも楽しむことが大事ということか、足の状態がよくないこともあり、練習不足なのも分かっていたので、それもいいもんだと思った。それでもただ大会に出るのはもったいないと思い、とりあえず時間内の完走を目指して100キロをわらじで走りきることができるのか試してみようと思った。そのために1週間前から毎晩、仕事から帰って、遅くまでわらじを編んでいた。普段の六甲山のトレーニングで15キロで1足、かかとの部分がダメになってしまうことを考えて、今回、7足のわらじを用意してきた。
 福山から今治までの道のりのうち最初の橋までは街中と高速道路のようなトンネルも何度か通過した。
最初のうち、気になっていたのがわらじが実際のところどれぐらいもつのかわからないことだった。15キロぐらいは大丈夫だろうと思っていたが、以前のレースではダイトレの36キロのトレランが最長でそれでも1回履き替えただけだった。何度も履き替えながら走るのは今回がはじめてだった。最初の履き替えは17キロをすぎたところだった。序盤だったので比較的に楽な走りをしていたためか、意外にもいけるなと手ごたえをつかんだ。わらじに興味を持ってくれるランナーと走りながら談笑していた。話の内容としてはどうしてわらじで走ろうと思ったの?からはじまって、今までの経緯(くつで走っていたときに70キロ付近でいつも足を故障していて、何とか他の方法で痛みをなくすことができないかと思い、born to runを読んでサンダルで走ってみたがすぐに穴があいたのでコスト的にもったいないので他にないかと思い、自分で作れるわらじにしたということ。)をかなり省略しながら話して、昔のひとはわらじで何100キロも走ったりしていたんだから昔のひとの走り方に何かあるんじゃないかと思い、もっとこのあたりを深く掘り下げてみたいんですよと言ったら、すごく共感してもらい、「実は昔のことを追求しながら最先端を行っているんじゃないのか」と言っていただいたりした。誰にも相手にされないだろうと思っていたのでちょっとうれしかった。
 わらじを履き替えてから違和感があった。履き心地が悪い。案の定、7キロぐらいでダメになり編み方が甘いわらじはすぐにダメになることがわかった。自分の作るわらじの品質にかなりばらつきがあることが分かった。疲れている日は結構、適当に作っていたのを思い出した。手を抜くとこうなるのかとつくづく実感した。仕方がないのでまた履き替えて走り始めた。まだ20キロちょっとしか進んでいないのにすでに3足目に突入している。時間も履き替えるのに最低でも5分はかかっている。これはちょっとまずいなぁと思いながら走っていた。
 今回の大会ではエイドが充実していた。特にトマト(おそらくスーパーで売っているミディトマトという房つきのやつ。においが同じ自然の草の香りがしたのでわかった。)が最高においしかった。さらに清見オレンジの生絞りジュース。うますぎて何杯もおかわりした。
 30キロを過ぎたあたりから右足首が痛くなった。さらに足の裏は両足とも藁がすれて痛かった。原因は足袋が穴が空いてどうしようもない状態だった。前の日に布をあてて針仕事をしたのに意味がなかった。痛みを堪えながら走っていたところ、やっぱり右足のわらじが履き心地が悪かったので、結び方を変えて足の右側を少し強く結ぶようにすると、びっくりすることが起きた。右足の痛みがなくなったのだ。走りながら何で痛くなくなったのか考えた。そうかなるほど、わらじは結び方を調節することで靴底にインソールをつけるような足の傾きを調節することができるのか、いやもっと言うと靴は履いたときから形状を変えることが容易ではないが、わらじは現在の足の状態に合わせてフレキシブルに形状を変化させることができる。つまり、履き心地が悪ければ、結び方を変えることでいくらでも調節が効くのだ。実はこれは別の問いの答えのひとつなのかもしれない。その問いとは「なぜ何百年も昔の人はわらじを履き続けていたのか?」もちろん、わら細工は加工がしやすく、材料が手に入りやすいというのはあるが、それ以外に「構造的な部分で、工夫次第でいくらでも変化させられる」ということが経験知として持っていたのではないだろうか。履きやすさを調節することはおそらく昔の人にとっては当たり前のことで個々に履き方のコツや工夫をいくつも持ち合わせていたのではないか。
 走りをもちなおしたが、このままではわらじが足りなくなると思い、どうしようか考えた。走りながら、かかとがないわらじを二つあわせて一つのわらじにすればいいのだと思いついた。やってみたが、かなり足に段差ができて走りにくかった。しかし、わらじの数が足りないため何とかそれで距離をのばそうと思った。時間がたつにつれて無理な走りをしていたので両足の太ももがパンパンに張ってきた。どうしてこんなにわらじのもちが悪いのかを考えていたら、最初にくらべてわらじのかかと部分の減りが早いのは、わらじの問題だけでなく、走り方が走りはじめとくらべてかかとに重心がきているためではないか、疲れでフォーム自体が後に重心がくるようになっているのが原因ではないかと思った。さらにわかったことはわらじを履きかえると新しいわらじは足の裏が痛いことだ。足がわらじに慣れてきたところでまた新しいものに履き替えるので、また別のわらじに足を合わせなくてはいけない。
すでに右足の裏に大きな水ぶくれのようなものが出来ていてその部分が履き替えるたびにあたって痛みが走った。新しいわらじが痛いのは今回のわらじは編み方を以前より強化していて、編みこみの時点で水につけて湿らしたわらできつく編んだためだ。しっかりとしたわらじを作るには水につけてから作った方がきつく編めるが、その分、わらじも固くなるため実際に履くと足の裏にはきつかった。
 50キロ付近のエイドでは中間の荷物に代えのわらじ3足をかばんに詰めて、完全に使えないと思うわらじをそこで捨てて、残り3足であとの距離をどうしようか考えた。最後の15キロぐらいは橋を渡るので道は単調だと思い、それまでの35キロでできるだけ早く進むために3足をフルに使って進もうと思った。残りの15キロはつぎはぎのわらじでもなんとかなるだろう。
 40キロ付近までは足が痛くて、これはダメだと思ったが、それ以降は次第に慣れてきたのか、一定のペースで走れるようになった。60キロ付近で他のランナーに声をかけられ、しばらく併走しながらしゃべっていた。わらじで走る目的(前述)を一通り話して、靴よりこっちの方がいいと思うので100キロをわらじで走るのは今回がはじめてだが、できるかどうか試しているのだと言ったら、思いついて実際にやっているのがすごいとなぜか褒められた。そのランナーの方は幼稚園の職員の方で園児たちが自分で考えていろんなことをやっていくにはどうしたらいいのかと考えておられるようで、わらじを園児がつくるというのもいいなぁとおっしゃっていた。それなら、古いシャツで作れる布わらじを作ってみてはどうですかと伝えたら、ネットで調べてみるとのこと。自分のはきものを自分でつくれるようになったら自信にもなるだろうとおっしゃっていたので、確かにそれは少しあるなぁと思った。作ろうと思えば、そのあたりの草でも作れると思うし。少しはわらじに興味を持ってもらえることもあるんだと驚いた。
 何度も何度もわらじを履いたり、脱いだり、結びなおしたりして、かかとがすぐになくなっているのがわかって、足半(アシナカ)がなぜ作られたのが実感できた。どうせなくなるかかとならば、いっそうなくなってた方がいいということなのだろう。かかとがないので足をするようにすり足で走るようになった。以前読んだ本でわらじを履くとするように歩くといった記述があったのを思い出した。こういうことなのかと身体で理解した。なぜ、そうなるのかではなく、そういう状況ではそうなるのだということだ。これからはかかとのない状態での走り方についてもっと山でトレーニングする必要があると思った。しかし、足をするように走るとかなり遅い。昔の人はこれでどうやって早く走ったのか、さらに今後調査する必要があると思った。
 今日はとても暑く、走っているとときどき地震のように強い揺れを感じることがあった。島の上を走っているので波で揺れているのかと思ったが、冷静に考えてみると疲れと暑さで平行感覚を失って、地震ではなく自身が揺れているのではないかと気がついた。これはやばいなぁと思ったが、あまりそういうことを考えると力が急激に抜けてしまうので気持ちを切り替えて、とりあえず完走を目指しているだけなので大丈夫だと自分に言い聞かせた。
 他のランナーでファイブフィンガーを履いている夫婦がいて、声をかけられた。はじめて100キロを走るが、全然足が痛くならないとのこと。ホントに~。ファイブフィンガーってそんなにすごいのか、それだったらちょっと欲しいと思った。わらじも似たようなもんでしょうと言われて、足の裏が痛いが、それ以外は故障はあまりしないと言いました。若干、無理して話を合わしてしまったなぁと思ったが、否定するのもあれなので、今回は100キロ走れるか試しているのですと伝えた。
 さらに途中で別のランナーに声をかけられた。「大阪では最近、わらじが流行っているのかな?」おそらく私のゼッケンの大阪府の文字を見て声を掛けてくれたのだろう。「以前、ダイトレでわらじで走っている人がいたので」とのこと。「それは私です。(笑)」「大阪でわらじを履いているのはおそらく私一人です。(笑)」相手はびっくりしていた。丁度、ダイトレで同じ位置で走っていたので覚えているとのこと。世間はせまいなぁ。
 70キロをすぎてからも相変わらず、足の裏は痛かったが、ペースは40キロを過ぎてから変わっていないのではないかと思った。後半になっても全然疲れがないなぁ。何度も履き替えているのでタイムロスはかなりあり、タイムを度外視しているので当たり前かもしれないが、それにしても余力は残っていた。
 少し、登り坂が続く道があったので一気にギアを切り替えて、走った。今のうちに距離をかせごう。早くしないと時間オーバーになってしまうと思った。
 わらじの履きかえるタイミングについて考えているとエイドがたくさんある大会では、できるだけエイドでゆっくり履き替える方が結果的にはタイムロスが少なくなることを学んだ。一度履いても、履き心地が悪いことが何度かあり、何度も履きなおすことになったからだ。
 最後の3つの橋にさしかかったときにはわらじのかかとは常になく、すり足で走っていた。何て走りにくいのだろう。さらに足の裏が痛い。ここまで来たら、もうゴールはすぐだった。
 橋を超えて、街中に入るころには辺りが暗くなっていた。もうわらじは無残な姿だった。足袋は穴があきまくっていた。替えのわらじもない。とりあえず、足をすりながら走った。今治城を通過して一気にゴールに向かった。やったぁ~わらじで100キロ走ったぞ~。大声で叫びたかったが、自重してしまった。タイムは15時間の少し手前だった。
 
後日、大会を振り返って
どこが痛かったか?
1.両足の小指の付け根の部分がわらが当たって大きな水ぶくれになった。
2.親指と人指し指の間がすれて痛かった。
3.左足の裏、4cm四方の大きな水ぶくれになった。足袋に穴が空いていて、直接、わらが当たったため。
 
 

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